フラクタルシステムの完成により働かなくても生きていける楽園を手に入れた人類の姿は、現代(これから)の社会を批評的に捉えたものだとも考えられる。しかし、やはりこれはもっとピンポイントに、ヤマカンが「アニメ」について感じていることなのではないだろうか。
定時に昼の星(僧院)に祈りを捧げる(ログを送信する)代わりに、快適な生活を享受することができる「フラクタル」は、データベースの集合によって成り立つシステムのようだ。日々のデータベースの更新と、そこから得られる恩恵という「フラクタル」と人間の関係は、この作品に原案で参加している東浩紀が提起した「データベース消費」を連想させる。
そう考えると、一見単なる世界観の説明でしかないようなクレインのセリフも、昨今のアニメを取り巻く環境を批評的に捉えた言葉だという事がわかってくる。
「フラクタルシステムが確立されたばっかの頃か。古典もいいとこだな。」
「この教科書の望む未来は確かにやってきた。仰るとおりほぼほぼ快適。誰かと触れ合わなくても大抵上手くやっていける。ちょっと退屈ではあるけど、これ以上の何かがあるとも思えないし。多少面倒なことといえばこれくらいのもんだ。」
* * *
『「データベース消費」や、他者の介在なしに欲求を即物的に効率よく充たしてくれる作品をインスタントに消費するスタイル(視聴者の動物化)は拡がりを見せている。昼の星に祈りを捧げるように消費者の好みやトレンドから目を逸らさず、それに応えることでしかアニメを制作し続けることが出来ないような退屈な状況に陥っているのかもしれない。』
また、作中には「データ麻薬」なるものも登場する。これは効率よく快楽を与える手段、いわゆる「萌えアニメ」と分類されるような作品のことだろう。クレインはこれを拒否する。つまりヤマカン自身もデータベースに依存したアニメに疑問を持っているということだろう。
”- 2011-01-20 - ソラゴト体系