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" この「何でもないもの」、我々が決定的答えとして求めてやまないにも関わらず、常に逃げ去り、ただ空虚な痕跡としてしか手にできないもの、それがラカンのタームで対象aと呼ばれるものである。  『セミネー..."

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 この「何でもないもの」、我々が決定的答えとして求めてやまないにも関わらず、常に逃げ去り、ただ空虚痕跡としてしか手にできないもの、それがラカンのタームで対象aと呼ばれるものである。

 『セミネール』11巻第13講において、対象aとしての眼差しregardの機能を説明するにあたり、ラカンは珍しく若い頃の思い出話をする。それは次のようなものである。

 若きジャックは、よくいる活発で利発な青年の一人として、自らのインテリとしての優遇された生活に疑問を覚えてか、荒い海で漁師として働いたことがあったという(一夏のアルバイトであったと想像しよう)。この時、船の上で、彼の同僚である無教養な男が、海上を指差した。そこにはどこから流れてきたのか、一つの空缶が浮かんでおり、強い陽射しを反射して、キラキラと輝いていた。男は次のようなジョークを放った。「こっちからは向こうが見えてるけど、向こうからはこっちが見えていないんだぜ」。しかしこの時、ラカンは、「違うのではないか、むしろ向こうこそがこちらを眼差しているのではないか」と直観した。

 眼差しとは何か。それは例えば、催眠術師の使う「光るもの」であり、擬態を使う昆虫の背負った眼状の斑紋である。眼差しは、声、糞便、乳房などと並んで、「主体が成立するために手放した器官としての何か」である対象aの一例である29。

 暗い部屋に一人入り、誰かの視線を感じてハッと振り返る。何かが光った気がした。が、良く見てみると、それは鏡であり、誰かが見ていると思ったのは、鏡に映った自分の視線だったのだ。この「なんだ、私か」と気付く一瞬前の輝き、それが眼差しである。

 若きジャックが、この輝くものが我々を眼差しているとう事実に、つまり我々が見るより前から我々を眼差しているものがあるということに気付いたのは、まさにその時の彼が、無教養で粗野な漁師達の中で、斑紋のように場違いに浮き立ったシミ的存在であったからである。つまりこの時彼は、「あ、あれは私じゃないか」とハッとしたのだ。海の上ではカンが浮いていて、船の上ではラカンが浮いていた、というわけである。



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