“ 石原は現在でも「完全なる遊戯」を愛してやまない、ご執心な小説のようだ。
福田和也との対談でその愛を高らかに宣言している。
「石原 「完全なる遊戯」は完全な小説だけれど、あれを書いてから四十年以上の時が流れて、私が想像の世界で描いた事件が現実に頻繁に起こるようになった。」(「月刊 石原慎太郎」平成十四年 マガジン・マガジン)
四十年以上前の小説をここまで熱っぽく語れるのも凄いが、これらの発言を読んで浮き彫りになるのは三島由紀夫の先見の明である。
小説としての「完全なる遊戯」はまだしも、三島は「未来小説」と称し、「問題になる」と語る。
人間が思考を止めて、欲望のみで行動する時代の到来を石原の小説から眺めていたのかもしれない。
現代の社会情勢。セックスの低年齢化や、性犯罪の多様化、ドメスティック・バイオレンスの横行を三島は予見していた、極論かもしれないが、「完全なる遊戯」の評論は、的を得ているのかもしれない。
三島由紀夫と石原の自作品に対する思考は極めて対照的である。
雑誌『国文学』五月臨時増刊の「三島文学の背景」と題する対談(昭和四十五年)で文芸評論家の三好行雄が冒頭に「今日はこの雑誌の特集の一環として、三島 さんにいろいろお話して頂こうということなんですが、私のほうが準備不足で、なにをお伺いすればよいんだか(略)むしろ、作品と作者の接点のようなものを と、思うんですが」との問いに対する三島の答えは石原と対極的で
「ああ、そうですか。ぼくは過去の作品のことを話すのがいや で。・・・・・過去の作品なんて、いわば、排泄物といったら読者に失礼だが、トカゲのしっぽみたいなもので、トカゲのしっぽがちぎれて、向こうに並んでい るみたい。肝心のトカゲにはもう、あとのしっぽが生えているんですからね」と、そっけない。
しかし過去に囚われず(一部焼きまわしと言うか、過去の作品を発展させた作品もあるが)新しい作風の小説や戯曲を生み出した三島と過去の作品を慰撫する石原。
作品に対するスタンスが二人は根本的に違うことがよくわかる。”
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福田和也との対談でその愛を高らかに宣言している。
「石原 「完全なる遊戯」は完全な小説だけれど、あれを書いてから四十年以上の時が流れて、私が想像の世界で描いた事件が現実に頻繁に起こるようになった。」(「月刊 石原慎太郎」平成十四年 マガジン・マガジン)
四十年以上前の小説をここまで熱っぽく語れるのも凄いが、これらの発言を読んで浮き彫りになるのは三島由紀夫の先見の明である。
小説としての「完全なる遊戯」はまだしも、三島は「未来小説」と称し、「問題になる」と語る。
人間が思考を止めて、欲望のみで行動する時代の到来を石原の小説から眺めていたのかもしれない。
現代の社会情勢。セックスの低年齢化や、性犯罪の多様化、ドメスティック・バイオレンスの横行を三島は予見していた、極論かもしれないが、「完全なる遊戯」の評論は、的を得ているのかもしれない。
三島由紀夫と石原の自作品に対する思考は極めて対照的である。
雑誌『国文学』五月臨時増刊の「三島文学の背景」と題する対談(昭和四十五年)で文芸評論家の三好行雄が冒頭に「今日はこの雑誌の特集の一環として、三島 さんにいろいろお話して頂こうということなんですが、私のほうが準備不足で、なにをお伺いすればよいんだか(略)むしろ、作品と作者の接点のようなものを と、思うんですが」との問いに対する三島の答えは石原と対極的で
「ああ、そうですか。ぼくは過去の作品のことを話すのがいや で。・・・・・過去の作品なんて、いわば、排泄物といったら読者に失礼だが、トカゲのしっぽみたいなもので、トカゲのしっぽがちぎれて、向こうに並んでい るみたい。肝心のトカゲにはもう、あとのしっぽが生えているんですからね」と、そっけない。
しかし過去に囚われず(一部焼きまわしと言うか、過去の作品を発展させた作品もあるが)新しい作風の小説や戯曲を生み出した三島と過去の作品を慰撫する石原。
作品に対するスタンスが二人は根本的に違うことがよくわかる。”
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