アクセスコントロールとは何か
ここで言うアクセスコントロールとは、我々ユーザが、どのデジタルデータをどのハードウェアで、どのようにして、いつまで、何回、アクセス(再生)できるか等をコントロール(制限)するための技術。DRMもこのアクセスコントロールに含まれる。
アクセスコントロールは、デジタルデータとそれにアクセスするもの(ハードウェアやソフトウェア)との認証を必須とし、メーカー、プラットフォーム側が認めない使い方をさせない、というもの。アクセスコントロールはしばしばコピーコントロールと混同されるが、コピーコントロールがコピーを妨害することで複製そのものを防ぐのに対し、アクセスコントロールはコピーされてもアクセスさせないことで複製を無意味化する
(中略)
一見すると、こうしたアクセスコントロールを保護することは全く間違っていないように思われるかもしれない。アクセスコントロールのおかげで違法コピーや違法ダウンロードされたデータを排除できるなら良いじゃないか、と。
しかし、問題は、アクセスコントロール回避規制は、違法コピーや違法ダウンロードに限定されないという点にある。つまり、我々に認められている範囲の私的複製であっても、アクセスコントロールによって制限をかけることができてしまうのである。
現在検討されている改正案が通ってしまえば、デジタルデータが合法的に入手されたかどうか、違法に入手されたかどうかにかかわらず、アクセスコントロールの回避そのもの、またはそれを可能にする機器、サービスが違法化されることになる。たとえ、回避行為のみが規制から外されたとしても、それを可能にする機器やサービスの提供が禁止されれば、実質的に回避行為まで制限されることになる。
(中略)
つまり、アクセスコントロールによってコンテンツやデバイス、プラットフォームの選択、利用が制限されるのみならず、将来的なコンテンツの喪失という潜在的リスクをも負わされていることになる。
購入したデバイスを自分の好きなようにカスタマイズして使おうとしても、アクセスコントロールを盾にできなくすることもできてしまう。アクセスコントロールがかけられている領域に何らかの方法でアクセスすれば、著作権を侵害したわけではなくとも、著作権法違反となってしまう。
(中略)
アクセスコントロール回避規制は、こうした囲い込み体制を強化することになる。消費者は、手持ちのハードウェアや使用しているプラットフォームに、そして、既に購入したコンテンツによって、それぞれのレイヤーでの選択肢を制限される。こうした制限は多くの場合、ハードウェアやプラットフォームを提供する企業の利益のためにある。
私は、ハードウェアメーカーにのみプラットフォーム選択の決定権があるとは思わないし、プラットフォームがデジタルデータへのアクセスの許可/不許可を消費者の意志を介さずに決定することはおかしいと思っている。可能な限りユーザの決定権は尊重されるべきだし、自由であるべきだと思う。
ハードウェアとプラットフォームの排他的な統合によって、その両者を手にした企業が、その市場において絶対的な支配力を有し、ユーザの自由のみならず、コンテンツの流通まで支配することになる。ハードウェアの市場占有率が高くなればなるほど、その影響は深刻なものとなる。
”- マスコミやGIGAZINEが伝えないマジコン規制の本当の恐ろしさ - P2Pとかその辺のお話@はてな (via syoichi)