ニュージャージー州イーストオレンジのBaily Radium Laboratoriesが製造した”Radithor”の調査を求める声に、連邦取引委員会のRobert Hiner Winnは昨年9月、Eben Byersのインタビューをサザンプトンの彼の自宅で行った。そのときの様子をRobert Hiner Winnは「これ以上の豪邸で、これ以上の恐ろしい経験をすることを想像できない。我々はByers氏の豪邸のあるサザンプトンを訪れた。そこで我々は、説明を懇願する彼の姿を見出した。若々しく、気がしっかりしていたが、彼はほとんどしゃべれなかった。彼の頭は包帯が巻きつけられていた。彼は、連続した 2回の手術で、2個の前歯以外の上顎と大半の下顎を切除されていた。残された彼の骨組織はゆっくりと崩壊していて、頭蓋に実際に穴が開いていた。」と述べた。
Eben Byers氏は2週間前まで、自分の症状が絶望的だったとは知らなかった。先週の部検で、歯が6個しか残っていないことが分かった。上顎と下顎ともに、腐っていた。彼は脳腫瘍だった。彼の骨格全体にラジウム36マイクログラムが含まれていると、Columbia UniversityのDr. Frederick Bonner Flinnは推定した。10マイクログラムで致死量である。
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ラジウムガール事件が起きたのが1917年。それから15年後も、ラジウム健康関連商品が売られ、被害を出し続けた。
ただ、この犠牲者Eben Byersが有名人であったことから、事態は急速に動いた。
American Medical Associationは調査を行い、ニセ医療としてRadithorが販売されていることがわかり、Radithorの承認を取り消した。
そして、次第にラジウム製品は世界から姿を消していく。今となっては「ラジウムとエナジー」という言葉に踊った20世紀初頭のことは忘却の彼方へ消えている。
”- 忘却からの帰還: ラジウム・ラジウム・ラジウム…