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"ミックスゾーンで、行われた「引退会見」に、楢崎は「きょうが最後のつもりだったんですが・・・久しぶりで、一緒にやっていない選手もいたのでなか なか・・・でも個人的な話を置いておいても、勝ってよかった」と、..."

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ミックスゾーンで、行われた「引退会見」に、楢崎は「きょうが最後のつもりだったんですが・・・久しぶりで、一緒にやっていない選手もいたのでなか なか・・・でも個人的な話を置いておいても、勝ってよかった」と、爽やかな表情を見せた。代表では全てをやり切ったという表情が逆に、寂しさを募らせる。
 W杯後、名古屋のストイコビッチ監督を含め近い人々には相談をしてきたようだが、代表の新監督が決まらない状況下で、自分の話を先に言い出すことを遠慮 していたようだ。今合宿の始め、楢崎は原・技術委員長に自ら、「今度は候補者リストからはずして欲しい」と依願。代表からの引退を伝えたという。
 97年、アジア最終予選を最後のプレーオフまで戦い、初のW杯、フランス大会出場を果したメンバーの一人で、現在代表の残るのは、楢崎と川口の2人だけ となった。この日の試合は、Aマッチ77試合目、川口の116試合に次ぐ歴代2位(GKとして)、76失点。日本代表を最後尾から支えてきた34歳が下し た決断は、「W杯4大会出場で本当に多くを経験させてもらったことに感謝しているし、自分がしてきた経験を、若い選手にもさせないといけない」というもの だった。
 W杯を前に、日韓戦でパク・チソンにゴールを奪われ、その試合を最後に、初めて「背番号1」をつけて臨んだW杯で先発を川島に譲ることになった。楢崎自身、あの失点が、それまでとはどこか違った失点だったことを感じたのかもしれない。
 岡田武史監督は、スイスでの合宿に入って楢崎を川島に交代させる際、「苦しい決断だった」と、周囲に話している。楢崎は逆に、98年から苦楽を共にして きた岡田監督の苦悩を慮って、目前でW杯の夢を断たれたにもかかわらず一切表情を変えなかった。それどころか、それまでの練習と同じように、必ずGK練習 ではどのメニューでも先頭を切り、リラックスルームでは、川島に細かくアドバイスをするなど、チームプレーに徹していた。その存在感は、日本代表のベスト 16を土台から支えるものだった。
 楢崎は、「代表で、先輩たちから教えられたことをやるだけだった」とサラリと言った。

 ミックスゾーンで「納得できない」と言うと、笑いながら「長い間、有難うございました」と返された。もちろん、決断の重みは理解している。どれほ ど、賭けてきたかも、かいま見ている。しかし、ザッケローニ監督に引退を伝えたのではなく、原代行に伝えたのだ。ザックは、アジア杯を戦うためにも、34 歳のキャリアとあの人柄をチームに欲するに違いない。
 「引退は納得できない、そういわれるように頑張りますよ」
 笑いながら、背中で手を振って。



- コラム「76失点のプライド」 | スポーツニュース速報とコラム - スポーツの魅力を語る (via petapeta)

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